2011年06月30日

20110626 寿DVD発売記念&被災地支援コンサート


 新横浜スペース・オルタで開かれた表題のコンサート。
 行けなかった人も、雰囲気はつかめるかなあ。
 簡単にまとめた動画です。


スギです。
 26日のスペースオルタでの被災地支援コンサート、皆さまの力でとても良い集まりに成りました。
 皆さん、それぞれにいろいろな事情を抱えながら集って頂いたこと、改めて感謝です!
至らぬ点は、多々あったと思います。ゴメンなさい。

 でも、寿の歌、やっぱり良いよなぁ。
 関さんの話も良かったです。特にコンサート終了後の話。(歌もびっくり?する位良かったですよ!)
 そうなんです。コンサート終了後はセカンドステージ?に突入。
 ハルさん・トシさん、春恵さんはじめ次々と素敵な歌、セッション。奈良からは八百屋「ろ」のヒデさんの詩の朗読。久々に会う懐かしい顔、顔。その娘や息子達、新しい世代の人達に希望を感じ…。

 関さんが「ここで話していたら、今、自分が泣きたいんだなって事がわかりました。」
 3ヵ月走り回って来て、沢山の葛藤やドラマがあり、その度に思い、悩んで…。
 涙がこぼれてもいいですよね。前を向いて歩いているのだから。

 真起さん、収益のカンパ、有効に使わせて頂きます。
 氏さん、末松さんカンパ多謝!(今回は氏さんと石巻まで行きます)

 寿のナビィ、ヨシミツにぃにぃ、お預かりしたカンパは石巻の「はからめ」の二人に渡して来ます。
 本当に、たくさん、たくさんありがとうです!








震災チャリティーライブに集ってくれた皆さんへ
 見通しもない胸塞ぐ日々の中で、「ヨウ!」と声をかけ合うのは、ここに自分は「イキテイルゾ!」と確認しているようなものなのだね。
 こねこさんそっくりの娘さんを連れたcanが早々とオルタのエントランスに、何百枚もの脱現ポスターを貼ってくれました。
 ハーベストムーンの時には八百屋仲間を中心とした出店で賑わっていた場所に、今回は脱原発のポスターが、大漁旗のようにはためきました。
 そのポスターに囲まれるようにして、奈良から来てくれた八百屋「ろ」のヒデさんがエントランスの地べたに座り込んで、風の中、気持ち良さそうに外を眺めていました。
オルタに初めて来てくれた山尾三省さんが、そうしたように・・

 その姿を見た時から、僕の中でコンサートが鳴り始めていました。

 振り返ると、関さんの胸の内をどこまで受けとめられたかは定かではないのですが、伝え合うことの本質が、普段よりも深く垣間見えたことは確かだったよう
に思います。

 関さん初め、とにかく来てくれ、ここまで生きていてくれた皆に感謝です! 
 そして、来たくてもこれなかった皆にも感謝です!

 ところで杉さんは、デートを控えた娘さんを送って帰ったcan不在にも拘らず(!?)、今年秋口の福島原発震災チャリティーのハーベストムーンをやる! と、言ってしまいました。氏さんが水を向けたんだっけね。さて、どうなるか・・・?

 意志を持った時間の入り口へそれぞれのエネルギーが注がれ、エネルギーが交感され増幅され、また新しい時間への意志が創り出される。
 単なる消費型ではない、循環型のイベントの素晴らしさはまさにそこにあります。
 秋口までに、この国の姿の中で、僕らの活動がどのような現実を産み出しうるのか?
そのことを含みながらハーベストムーンに臨めたらと思います。

 ということで、刈り取り分かち合うための「稔り」をそれまでに育て合えればと思います。
 今回来てくれた皆さんへ伝えられたことで、HANETも一回り大きなネットワークになるような気もします。それも期待しましょう。

皆様、ご苦労様でした!
                                     スペース・オルタ 佐藤真起



杉さん、まおきさん、

素敵なコンサートを企画してくださって、どうもありがとう!
久々にみんなに会えてうれしかった。
関さんとも18年ぶりぐらい?
でも、会ったら、すぐに長い年月を飛び越えられた。
また、新たな出会いもあって、それもうれしかった。

なんとオルタで歌ったのは、19年ぶり!?
ハルとの結婚ライブ以来でした。練習不足ですみません。
でも、歌ったら気持ちよかった〜!

3月11日以降、胸に重いふたがされたような感じで
過ごしてきたけれど、人とつながる、表現することで、
ふたが取れてきたような気がする。
みんなとつながって、原発を止めるぞ〜!という力が
湧いてきた。みんな、ありがとう!
                                                    トシ



posted by 勇気野菜 at 07:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

6月26日 寿コンサートのチラシが届きました


 スペース・オルタ制作のチラシが届きました。
 クリックすると拡大します。

0626 (Large).jpg

  ご予約は、スペース・オルタまでお願いいたします。
                          045-472-6349


 チラシの枚数が限られますので、急遽作成していたこちらのチラシも利用いたします。

0226-2-1 (Large).jpg

                     0626-2-2 (Large).jpg

 こちらはPDFがありますので、ダウンロードが可能です。
0626-2.pdf


 さらに、当日はスペース・オルタのエントランスで「脱原発ポスター展」のリアル版を開催の予定です。コンサート終了後、実費ブラスカンパでお持ち帰りいただけます。
http://nonukeart.org/



posted by 勇気野菜 at 18:56| Comment(0) | イベントのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

飯舘の酪農家 長谷川健一さんのおはなしを聞く会を催します


 村全体が計画的避難区域となってで村人たちが姿を消した飯舘村。
 この飯舘村で酪農を続けてきた長谷川さんが、経験したことを日本全国の人たちに伝えたいと、原発事故後に撮り続けたビデオの映像とともに、おはなし会を始めました。

 呼びかけがあったのは写真家 森住卓さんのブログ。http://mphoto.sblo.jp/article/45933445.html
   

飯舘村から 酪農家の長谷川さんをあなたの町に呼んでください。
 みなさん、ブログにUPしている、飯舘村の長谷川健一さんが自らの体験を直接みなさんにお話したいとおっしゃっています。呼んでくれるなら何処にでも行くと。長谷川さんの撮った映像(動画)もあります。
 米軍占領下の沖縄・伊江島で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地取り上げに反対し闘うために、カメラを買って米軍の蛮行を記録し続けた阿波根昌鴻さんがいました。
 いま、彼と同じように自分の村の体験を後世に残そうと4月にビデオカメラを買って撮影しています。
 その映像と一緒に話をします。汚染して村を出て行く人々の無念さや悔しさ、原発への憎しみと汚染の今後の心配など、ともに考える良い機会です。
 是非、皆さんに呼びかけて長谷川さんと飯舘村のお話を聞く機会を作っていただけないでしょうか。

 関連記事 http://mphoto.sblo.jp/category/1117537-1.html



 お客さんのMさんがこんな話があるんだけれど、話しを聞いてみようよとチャンプールに声をかけてくれました。
 店頭で、Hさんにも声をかけ・・・そして決まったのが長谷川さんのおはなしを聞く会です。

期日 7月10日(日) 14:00〜
所  相模原市南区東林間4-32 相模原市立東林間児童館2階
会費 1000円
(予定)
 会場にはクーラーがありません。扇風機、うちわで涼をとります。
主催 長谷川さんのおはなしを聞く会
問い合わせ 042-747-2858 チャンプール





資料





乳牛飼育を断念 飯舘全11戸「苦渋の決断」
 村全域が計画的避難区域となった飯舘村で乳牛を飼育している県酪農協飯舘支部(長谷川健一支部長)は1日までに、飼育農家全11戸で飼育を休止することを決めた。今後乳牛は殺処分するという。
 長谷川支部長によると、村内では300頭の成牛を飼育しているが、牛は弱っており、他に移動させて搾乳することが困難で移転先での出産もできない状況。また疫病の懸念や移転先での作業の見通しが不透明だという。仮に村内に残したとしても、餌の牧草の放射線量が高く、牛への影響が大きいため、休止を決めた。
 育成牛45頭は既に白河市に移動し、今後競りで販売する。成牛は県組合を通じ、と場で殺処分するが、見通しが立っていない。また、放射線量の関係から通常とは違った対応も考えられ、課題も残っている。
 長谷川支部長は「酪農家にとって苦渋の決断。今後は東京電力に対し成牛だけでなく設備など全ての補償を求めていく」としている。
                               (2011年5月2日 福島民友ニュース)



IWJより 5/20
緊急集会 原発“損害賠償” 問題を考える〜飯舘村 酪農家は訴える〜
 福島第一原発事故の影響で、村全域が計画的避難地域に指定され、5月下旬までを目処に全村民に対して避難を要請されている福島県飯舘村。
 その飯舘村で長年酪農を営んできた全11戸の酪農家たちは、ある日突然、原発事故による「計画的避難地域」に指定されたことを告げられ、補償について何の約束もないまま、ともに生活を分かち合ってきた大事な乳牛を処分し、故郷を去ることを要求されています。
 東京電力株式会社の「責任ある補償」と政府の「原子力損害に対するあり方」とは、どの様な形であるべきなのか。
 飯舘村を含む各地の酪農家、農業・漁業従事者が原発により甚大な損害をうけています。しかし、これら地元で暮らす人々の「声」を聴取しないまま、今まさに、政府による「補償の枠組み」が定められようとしています。
 この様な現状に危機感を抱き、「自らの現実」に耳を傾けてもらいたいと、緊急で、飯舘村酪農家の皆さんが上京します




47NEWShttp://www.47news.jp/47topics/e/214402.php
【写真ニュース特集】(17)原発が全てを奪った 福島県飯舘村の酪農家

2011年06月07日
原発が全てを奪った 福島県飯舘村の酪農家
 「寂しいではなくて、悔しい」。食肉として処分するため、手塩にかけて育てた8頭の乳牛を1頭ずつ大型トラックにのせた。覚悟していたはずだが涙があふれた。遠ざかる車をじっと見つめ、最後に頭を下げた。

 のどかな田畑や牧草地が広がる福島県飯舘村で佐藤美知夫(さとう・みちお)さん(55)、照子(てるこ)さん(56)夫妻は、約35年間休むことなく酪農業を営んできた。高価な機械を更新し、牛を増やして少しずつ牛舎を拡大した。しかし福島第1原発事故により生活は一変。30キロ圏外でも放射線量は高く、村の全域は計画的避難区域に指定された。「もう人の住めるところではない」と美知夫さん。国は5月下旬をめどに避難を求め、村の酪農家は廃業に追い込まれた。

 「人生の分かれ道、全てのことが狂った日」と長谷川健一(はせがわ・けんいち)さん(57)は嘆いた。牛舎の壁には震災発生の日時がチョークで力強く書かれていた。その日以降、出荷できない牛乳を搾っては捨て続けた。「もう疲れた」。健一さんは力なくつぶやいた。

 5月下旬に出荷制限が解除され、残っていた乳牛は村外の農家らに売却された。佐藤さん夫妻は福島市に移転を決めたが、肉牛の売却や片付けなどで自身の避難は6月にずれ込んだ。村によると5月31日の時点で、村民の2割を超す1400人以上が村に残っているという。

 「原発は全てを奪っていった。牛も家も土地も、俺の仕事も健康も」。死んだように静まり返った牛舎で、美知夫さんは見通しの立たない現状を訴えた。(写真と文 矢辺拓郎・共同通信写真映像記者)



福島原発レポートC森住 卓
http://fotgazet.com/news/000074.html
 飯舘村の土壌汚染。「家族だけ自主避難したが牛を飼っているので俺はずっと家にいた。おれたち年寄りは被曝したって、今更どおって事ねえ、田んぼの土が汚染された。今年の米作りはどうなるんだ。一刻も早く土壌の検査をして欲しい」(田んぼは毎時1,578ミリレントゲンの放射線を出していた。3月27日午12時 福島県飯舘村)

 福島第1原発50キロ圏の高濃度汚染。30キロ圏の避難指示だけがお全範囲ではない。すでに40キロの飯舘村は汚染が広がっていることが大きな問題になっている。しかし、もっと離れた50キロの伊達市月舘町の月舘小学校宇付近の地上1メートルでは放射線量はたいした事はないのだが、住宅の雨樋の下を測定してみると、100マイクロシーベルトを記録した。(3月29日午後3時20分)

 3月15日に同市月舘町布川で高濃度の放射線を計測した。その後空気中の放射線は減少したものの雨や雪に含まれた放射性物質が屋根に降り積もり、雨樋を伝って集められたものと思われる。こういった高濃度汚染スポットがたくさんあると思う。

 無念のミルク。福島第1原発から40キロにある福島県飯舘村の酪農家長谷川健一さん(58)は「これで全部おしまいだ。いつまで続くのか見通しが全くない。このままでは廃業を覚悟しなければ」と悲痛な気持ちを語ってくれた。3月21日出荷の停止以来、牛は牛乳を出さないわけにはいかない。「えさを減らして乳量を減らしているが,普段乳量が多い牛ほど自分の身を削って乳を出そうとするから、ガリガリにやせた、と悲しそうに牛を見つめていた。朝、搾乳した原乳は近くの畑に捨てられた。目ざといカラスが近くの森で絶好のえさにありつけると、廃棄作業が終わるのをじっと待っていた。(3月29日福島県飯舘村)


posted by 勇気野菜 at 18:26| Comment(0) | イベントのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

南相馬 ぴーなっつの報告


 スギです。  

 南相馬・ピーナッツの報告です。  

 新聞にも出てますが義援金、見舞い金が収入と見做され生活保護が打ち切られるという事態が起きています。  
 そうなると、在宅障害者の方で医療費等も自己負担となり義援金、見舞い金を貰ってし まったが為に却って生活が苦しくなってしまうという本末転倒な事態が起きています。

 役所の担当者は「説明はしましたから」と言いますが、ただでさえ分かりにくい制度を理解するのは容易ではありません。  

 こうした相談も含め、ピーナッツには様々な相談が寄せられます。  

 勿論、簡単に解決出来ない問題の方が多いのですが、兎に角自分が孤立しているのではない、ピーナッツと繋がっている、いざという時助けて貰えるという安心感が彼らの支えとなっています。 

 また、通院の付き添い、移送、入浴サービス等を通して、在宅障害者の方々にアンテナを張っています。  
 しかしながら、南相馬・ピーナッツの活動する原町区は30キロ圏内(緊急時避難準備区 域)の為、市の総合病院は原則撤退(一部通院のみ受け付けている)状態です。救急対応は30キロ圏外の病院まで行かなくてはならないのです。 

 また、避難所の状況などを聞く限り、人の出入りは頻繁なようです。高齢者の方々は避難生活に耐えられずに、地元に戻って来る方が多く、一方若い人は戻って来たものの仕事が無く再び出て行く、という事が起きているようです。 

 これでは、やっぱり災害弱者だけが取り残されて行くという悪い循環に取り込まれてしまいます。  

 未だにライフラインが復活、機能せずにこれからの見通しもはっきりしない状態が続いているのです。


posted by 勇気野菜 at 13:19| Comment(0) | 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月16日

6/26寿Kotobuki DVD発売記念 & 震災チャリティーコンサート]                  「2011、寿KOTOBUKI-SPIRITS LIVE in ALTA」


6月26日(日)14:30開場、15:00開演 シリーズ・ホネの歌を探して
寿Kotiobuki DVD発売記念 & 震災チャリティーコンサート
「2011、寿KOTOBUKI-SPIRITS  LIVE  in  ALTA」  

 沖縄の島唄と寿Kotobuki魂の熱いメッセージを携え、人々の想いをエンパワーし続けてきたナビィ(歌)とナーグシク・ヨシミツ(G,  三線)。  
 結成25周年を機に撮り出した寿Kotobuki  の記念DVDが今年発売されたが、寿のスピリッツが詰まった映像作品として好評を博している。  
 今回はパーカッションの渡辺亮と横瀬卓哉をリズム隊でに迎 えての、DVD発売記念のステージを作る。

kotobuki3.jpg

 寿Kotobukiは、6.11脱原発100万人アクションの新宿でのステージでも演奏。  
 収益は、阪神淡路被災地支援でも動いた神奈川の八百屋仲間に よる“勇気野菜プロジェクト”に寄付。当日は、福島被災地からの現地報告もあり。

報告者/関久雄(元八百万屋、現在、二本松で支援活動)
会場/スペース・オルタ
          横浜市港北区新横浜2-8-4オルタナティブ生活館B1
料金/当日2.500円、予約・前売り2.300円(高校生以下1.000円)
主催/スペース・オルタ  
協賛/勇気野菜プロジェクト
予約・問合せ/スペース・オルタ(TEL&FAX:045-472-6349)  



報告者 関久雄さんのメッセージ

 佐藤さんにお願いして26日にオルタで3・11以来の私の周りのことを報告させていただく機会をいただきました。お時間があればおでかけください。 

 話す内容ですが・・・、@、事故が起きた時、私はどう行動したか、人はどう動いたか、A 被ばくから身を守るためにどんなことをしたか、B 避難かそれとも・・・、C 人と大地を浄化する行動とは、D ビジョン=どんな世界で生きたいのか、等を考えています。 

 あれから3ケ月。福島はいまだに危機と苦悩が続いていています。福島市、郡山市、二本松市といった中通り地域は放射能の値が高く、安全をめぐって住民は揺れ、時には対立が生まれています。
 不安な人は放射能を問題にしますが、「そう騒ぐから物が売れないし人が来ないんだ」と文句を言う人がいたり、「嫌なら出て行けばいい」と公然と言われたりします。これは辛いです。

 原発事故からひと月後から、徐々に人は戻ってきましたが、各地で線量が高い所が見つかったり、中通りは一年で約9ミリシーベルトを被ばくすることがわかり、再び避難する人も出ています。

 避難の理由は放射能だけではなく、仕事がない、生活ができない、先が見えないということがあります。避難というより地域を見限って出ていくという感じですね。以前と違って多くの人は、「原発が問題なんだ、あれさえなかったら・・」と言います。「風評被害に負けるな!がんばろう福島」が合言葉のように言われてますが、安全である会津地方にも観光客も来ません。

 打つ手がずれているのでしょう。子を持つ親は他県産を求め、じいさん、ばあさんが地元産を食べているのが実際です。

 杉浦さんが支援を行っている南相馬市ではお金の配給も5月に入ってからで生活のめども立たず、支援物資を求める人が大勢います。餓死者も出ているとの情報もあります。皆さんからの支援物資もまだまだ要ります。 

 そんな中、私は「除染」を始めているのですが、これは住まいや農地といった大地と人間の浄化こそが福島再生のカギだと思うからです。学校や行政での取り組みも始まっていますが、これを事業にし、同時にナタネやひまわりの浄化とバイオエネルギーの生産、バイオマスの使った廃棄物の処理などと絡めた循環型の仕事を作ることが必用と感じていくつかのグループと連携して着手しようと企画中です。

 今回、外に出かけてお話をし、少しでも理解と協力をいただき具体的な実現に繋げたいと思っています。  

 この頃、「風の谷のナウシカ」を始め、いろんな映像や本にインスピレーションをいただくことが多いです。「幸せの経済学」のブータンのこと、梅棹忠雄さんの「未来学」、清水義晴さんの「シフトウエアー」、安保徹さんの「自然治癒力」や環境への「適応」ということなどです。長くなりました。希望を持っていきましょう。



 是非おでかけください。
 勇気野菜プロジェクトからも報告をいたします。


posted by 勇気野菜 at 18:58| Comment(0) | イベントのお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。