2012年04月08日

脱原発市民会議in 神奈川 + ハーベスト・ムーン LIVE for フクシマ 


4月8日(日)は新横浜 スヘース・オルタに!!


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4月8日(日) 11:00〜20:00
脱原発市民会議 &ハーベスト・ムーンLIVE for フクシマ
 脱原発を志す市民たちが集います。阪神淡路大震災時に神奈川の八百屋仲間が継続して被災地の作業所や老人施設に食糧を届け続けた勇気野菜プロジェクトも再始動。仲間は東林間放射能測定室を作って活動中。勇気野菜プロジェクトの報告コンサートとして1995年〜1999年まで開かれていたハーベスト・ ムーン・ライブを復活し、福島現地からも仲間を迎え、「自分の頭で考え、互いに深く話し合いながら、よりよい社会を探るための」場を設けます。

脱原発市民会議 in 神奈川 11:00〜16:00
講座1/「南相馬から福島、そして日本を考えるーある障がい者施設での、この1年の軌跡から」  
11:00〜13:00 2階(約50名、予約優先)
フクシマの縮図=南相馬。福祉現場や民衆法廷の発言者などを迎え座談の場を開きます。

講座2/「くらしの中の放射能汚染地図ー瓦礫、食べもの、そして・・・」  
12:00〜14:00 3階(約50名、予約優先)
広がり続ける汚染地の瓦礫処理やたべもののこと。いま市民が考えるべきことは?

講座3/「脱原発と自然エネルギーについて」
13:00〜15:00 5階(約50名、予約優先)
広瀬隆さんとともに40年近く原発問題に係わる環境ジャーナリスト山田征さんを囲みます。


ワークショップ1/「非暴力トレーニング」
市民運動の原理と手法を学ぶ場を開きます。

ワークショップ2/東林間放射能測定室
一検体500円、事前予約で測定。放射能測定技術を学びます。

階段ギャラリー/脱原発ポスター展、他

※フェアトレード品の販売や、アジアの電力に頼らない村の暮らし紹介、上関原発反対運動の現状報告など、各種展示、資料映像放映、飲食コーナ、座談の場づくり等、多彩な企画でお待ちしております。


ハーベスト・ムーン LIVE for フクシマ
14:30〜20:00(地下のスペース・オルタに於いて)
出演
朴保BAND(反戦・反核のメッセージロック)、
THE ROUGH DIAMOND(被災地支援で豪州から来日)
ナーグシク・ヨシミツ(寿Kotobukiからソロで島唄とオリジナルを披露)
カテリーナ(チェルノブイリ労働者の町で事故直前に生まれたウクライナの歌姫)
関 久雄(子ども疎開の活動をしながら歌とメッセージを届けている)
かぜよし(大地と命への共感を紡ぐシンガー・ソングライター)
生田卍(長崎の被曝二世のロッカー)


※フリーパス券:前売りのみ3,000円
        講座・ワークショップ・コンサートがフリーパス。100枚限定
※コンサートのみのチケット:当日3,000円、前売り2,800円
※講座・ワークショップのみの参加:一ヶ所or 一検体500円
※講座参加は予約者優先で当日は整理券を発行します。
※各種展示閲覧のみは無料

会場:オルタナティブ生活館/スペース・オルタ 
〒222-0033
横浜市港北区新横浜2-8-4 新横浜オルタナティブ生活館
      新横浜駅徒歩7分 東京ガス手前)

主催:脱原発市民会議神奈川実行委員会

問合せ・予約 TEL & FAX : 045-472-6349 スペース・オルタまで 
                  FAXにて予約受け付けます

参加団体:
勇気野菜プロジェクト
東林間放射能測定室
HANET・非暴力平和隊・日本
子どもの未来プロジェクト・港北
ピース・サークル
NPO法人WE21ジャパンこうほく
NPO法人まいんどくらぶ


フリーパス券はチャンプールにて取り扱い中!!!






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2012年03月20日

本音でトーク!! 地震と原発  南相馬で起きたこと!                     ・・・・・・ある障害者施設の軌跡・・・・・


4月7日(土)17:00〜19:00 受付16:.30

 あれから一年余り、地震、津波、そして原子力発電所の爆発・・・
 緊急避難により、南相馬市の人口は1万人にまで減り、ゴーストタウンと化した。
 経済・物流は止まり、そして放射能に汚染されたこの街で、何が起き、彼らは何を思い走り続けてきたのか?
 
 そして、現在・・・

 障害をもった当事者、支え手の等身大の生の声をどうか聞いてください。

お話 ほっと悠 職員・当事者の皆さん
            http://www.hot-yu.com/

会場 コメット会館(杜舞人ハウス 5階)
       東京都町田市原町田5-4-19
お問い合わせ、申し込み
    080-5494-3439 杉浦
主催 勇気野菜プロジェクト


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2011年12月17日

第9便報告


報告その@
11月26日朝、船引の大河原伸さんの所に到着。芋、かぼちゃ、ネギなど野菜を戴く。いつも感謝! お連れ合いは、ドイツのゴアレーベンに行っていて留守。
うーん、恐るべし大河原一族!
郡山の直売所で野菜の測定を提案した所、寝た子を起こすような事はしないで欲しいというニュアンスの反応。
三春、船引辺りの野菜は数値的には低く、三春の直売所では勉強会をしてベラルーシ基準で販売する予定。最近は郡山から買いに来る人も増えているそうだ。
伸さん達は今、堆肥を入れる事が出来ずに困っている。
牛を飼っているので、今までは藁と堆肥を近隣農家と交換していたのだが、どちらも出来なくなってしまった。
堆肥は溜まって行くばかりで、この先どうしたら良いのか途方に暮れている。
「最近になって何か、だんだん腹立って来たよ。測定とか何でこんな事毎日やらなきゃいけない!?」
多分、伸さんだけじゃない。みんな同じ気持ちなのだと思う。
「でもね、今度郡山で八百屋やろうかなと思っているんだ。全部測定して表示して。八百屋だけじゃなくて、いろんな相談にも乗れるようにして。」
厳しい現実の中で、少しでも前を向いて行こうとする伸さんの姿。
被災地で出会った沢山の苦闘する人達の姿と重なって行く。
でも、福島や仙南では言葉で表す以上に厳しいことです。

報告A
浪江、飯舘村を経由して南相馬へ。
途中、浪江・赤宇木辺りから雨が降り始める。車内空間線量20〜25マイクロシートベルト/時。車外35マイクロシートベルト/時。地際70マイクロシートベルト/時。
飯舘村から雪に変わる。長泥地区で11マイクロシートベルト/時。減衰の気配なし。
南相馬に入り、最初にホット悠を訪ねる。大河原サキさんの紹介で二度目の訪問。
震災、事故前は、70人の利用者(社員さんと呼ばれている精神、知的障碍者の人たち)と30人の職員がレストラン、カフェ、福祉ショップなど4ヶ所の事業所を運営していた。
被災、爆発後の5月、障碍者の人たちの居場所作りから再開するものの、職員は5人になってしまった。7月より障碍者30人、職員を新規雇用して10人で事業を縮小して正式に再開させ今日に至る。と、文字にすると簡単なのだが…。
ホット悠ではお弁当の宅配をしている。併設のパン屋は休止したまま。地震による設備の被害は免れたが、再開してもお客は戻って来るのか?疲弊するスタッフで事業を回していけるのか?
そして、放射能…。
この辺りで、0.6マイクロシートベルト/時。決して低いとは言えない。
「毎日3回計っているんだけど、ちっとも下がらないんですよ。」と所長の鈴木さん
彼女の家は警戒区域の小高地区。瓦が崩れた程度で、地震・津波の被害は無く、ちゃんと残っている。
「でも、もう戻れないんですかねぇ?先のこと考えると気が滅入ってしまって…。仕事している間は忘れていられるんですけどねぇ。仕事終わって一人になると、また考えちゃうんですよ。」
励ましの言葉など見つける事も出来ず、野菜やみかんを降ろし、「また来ます」とだけ挨拶して別れを告げる。

ピーナッツに着いた時には、ちょうど昼食中。
ホット悠で頂いてしまったお弁当を皆と一緒に食べる。
施設長の郡さんは月末の工賃の支払いで、鹿島区に移ったもう一つの作業所「ビーンズ」に  行って不在。
職員の本多さん(仙南の丸森在住。家族は大阪に避難中で、単身生活。偶然だが、北村さんたちの知り合いでもある。)と野菜を降ろし、鹿島区のビーンズに向かう。
南相馬の6ケ所の作業所の共同企画で作っている福島応援バッチを引き取りに。
ビーンズは就労支援施設で、訪れた時には種のパッキング(季節労働的内職。仕事の開拓には苦労している)や缶バッジ作りをしていた。
南相馬には以前、大きな入所施設が有った。爆発後、この施設は重度の障碍者の人達を契約解除して千葉に移ってしまったそうだ。
その契約解除された利用者の方が作業をしていた。
「あんな××理事長大嫌い!勝手に私のこと辞めさせたんだよ!!」
彼女の言葉が正確かどうかは判らない。でも、件の施設のトップに対し、彼女は怒こっていた。
郡さんにホット悠の線量の話をすると「ピーナッツでも毎日計ってますけど、夏までは下がって来ていたんですけど、このところ放射線量だんだん高くなっていて心配なんですよね…。」とのこと。
みんな不安や心配を心の片隅にそっと仕舞って生活している。
下がらない線量、押し付けられる除染、そして未だ取り戻せない暮らし。
やがて南相馬も冬を迎える。

スギです。
もう来週行くというのに、遅ればせながら報告Bです。
南相馬のビーンズを後にして、急ぎ宮城・大河原町に向かう。
北村さんたち、仙南の自然農農家が中心となって開設したばかりの放射能市民測定所「てとてと」。
地図を忘れて来てしまい、迷走しながら夕方近く、何とかたどり着く。サイトの写真見た方は判ると思いますが、立派な蔵。(この界隈には蔵屋敷が結構残っていて、最初違うお店に入ってしまった)。
入口の暖簾は柿渋染めで「てとてと」。
椅子やテーブルなど手作り。(保さん作)
メンバーも優秀な人材が揃っていて、農業を始める前は元経理、事務、物理の専門家などだったそうで、適材適所で役割を担っている。
測定の様子など見学させてもらう。
使用測定器はベラルーシ製のAtomTEX1302。γ線核種別に測定出来る。
測 定料金は千円。検査会社に頼めば簡易測定でも1万円以上する。
既に1ヵ月先まで予約で埋まっているそうだ。
課題は土壌、堆肥などの測定。これは他の市民測定所でも同様の課題。
「てとてと」では汚染を防ぐ為に土壌や堆肥専門の測定器と場所を検討しているそうだ。
南相馬で10月辺りから線量が上がり始めているという話をすると、落ち葉と河川の影響ではないかという意見。なる程、南相馬に注ぐ主要河川は全て飯舘村や浪江町の山間部を源頭部にする。
だが、後日警戒区域の汚染状況に詳しい方と話したところ、メルトスルーした燃料が東電が発表しているように70℃(冷温停止と称する状態)に下がっていない部分がそこかしこにあり(130℃以上になれば気化する)、放出され続けてている為という見解でした。
みどりさんに頼んでおいた野菜を頂く。カボチャをオマケで沢山付けてもらってしまった。ひとつひとつに測定値が付けてある。
切ない。
東電の人達よ!、あなた達は分かっているか?
自分が育てた物をどんな気持ちで計っているのか!!!
二人にお礼を言って東北道に向かう。

スギです。
来週水曜日の夜から福島、宮城に行きます。行き先はいつも通りの予定です。
25日は石巻の仮説住宅で被災者の方々と一緒にご飯作りと食事会をやる予定です。
前回、カーシェアリングの説明に町外れの仮説住宅を回った際、弘前医療福祉短大の先生お二人と知り合いました。
彼女たちは仮説住宅での孤独死を防ぎたいたいという強い思いを持っていて、特に一人暮らしのお年寄りを交流の場に引っ張り出す機会を作りたいと考えています。
今まで、リース作りやお茶会などやって来ましたが、女の人は参加してくれるのですが、男の一人暮らしの方がなかなか出て来てくれないという状況がありました。
食事会はいいきっかけに成るのではと考えています。
その仮説住宅はバス停まで20分。トラックの往来の激しい県道は歩道も無く、しかもバスは2時間に1本。
皆、最後の方でやっと抽選に当たったものの新しい環境に馴染めず、入居者同士の交流も余り無い状態です。
カーシェアリングも共同利用しる過程で交流の機会を作り出していけることに目的の一つが有ります。
上手く行くかはやってみないと分かりませんが。



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2011年10月24日

10月29日は大和のピース・フェスティバルへどうぞ


NO! NUKE  NO! WAR

 10月29日(土)のイベントです。大和駅東口で開催です。

 コンサートは、朴保バンド、カテリーナ、寿、打鼓音。
 特別ゲストに元横浜の八百萬屋店主 関久雄さん。
 関さんの話はぜひ聴いていただきたい。震災の体験、避難の実際、そして除染の話・・・




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スキャンなのであまりきれいではありませんが・・・
2011年10月23日/午前0時12分.pdf


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2011年10月16日

第7便報告


20110910 土
こんばんは、スギです。今、石巻です。
今日は、午前中和歌山に行く救援車両に荷物の積み込み。(因みに先遣隊が串本町に支援ベースを無償で借り受け、立ち上げ準備中です。串本町は明治時代、座礁したトルコの軍艦の船員を救助した精神を受け継いでいるそうです)
午後からパタゴニアのボランティアの方達と再開を目指す水産加工場の手伝い。以前にも来ている所で、家族の方達とも嬉しい再会でした。(2重の借金を背負っての再スタートなので成功を願って止みません。)

Oさんへ。
 S.O.さんから野菜、たくさん頂きました。ピーナッツに置いて来ましたが、石巻にも少し賄い用に持って来たところ、このカボチャ、めちゃ美味しい!と大好評でした。

 S.o.さんに宜しくお伝え下さい。


20110911 日
9月8日〜11日の各地の空間線量です。
二本松、0.75マイクロシートベルト/時船引(田村市)・0.17、浪江・25.6(地際82.2)、飯舘11.2 南相馬・0.15、相馬0.25、丸森0.22、石巻・0.07、金華山0.21でした。
今、東北道に入ったところです。
今日は金華山から牡鹿半島に戻る船上で、午後2時46分を迎え黙祷しました。

東京のデモの方はどうだったですか?
包囲は出来たのでしょうか?


20110920 火
スギです。
第7便(通算10回目)の報告です。
出発が遅れ、1時過ぎに相模原を出て二本松には6時半に到着。出勤、通学前の関さん家にお邪魔して近況報告、情報交換する。
福島では来春まで、復興対策雇用助成があるので、子供達の山村留学(放射能避難)を事業化して行きたいとの事。
詳しくはご家族の近況も含め、関さんからまた報告があるかと思います。
慌ただしく関さんと別れ、再び高速に乗り、磐越道を三春・船引で降り、S.O.さんの所へ。


関です。
 スギさん、皆さんいつもありがとうございます。スギさんはいつも被災地に向かう日は、夜中に出発して朝早くに二本松に寄ってくれます。私が出勤するまでの短い間に情報交換をしていますが、頭が下がります。9月23日には8月の佐渡キャンプの報告会と夜は震災と原発事故への鎮魂を込めた小さなコンサートを里山がっこうでやります。皆さんもその内に福島に来てください。
 話は変わりますが、19日は休みなので東京の集会とデモに行きます。福島のメンバーと参加することになりますが皆さんと会えるのを楽しみにしています。

20110921 水
南相馬〜石巻報告A
 S.O.さんがポツリと言った言葉…。
「やっぱり牛たち置いて、自分達だけ逃げるなんて出来ないないよね。」

 南相馬に行く前に田村市・船引のS.O.さんの所に寄った。
 前日FAXしてもらった丁寧な地図を頼りに初めて伺った。
 空間線量は0.17マイクロシートベルト/時。
 郡山(約1マイクロシートベルト)からこちらまで来ると、随分下がって来る。
 役場の発表が0.19マイクロシートベルト。
 目の前に広がるのは長閑な田園風景。
 南相馬のピーナッツに持って行く野菜(直売所などでは売れない規格外のナス、カボチャ、玉ねぎ等)を沢山用意して頂いた。心から感謝。
 おばあちゃん(O.さん、S.O.さんの母上さま)がお茶とお菓子やトウモロコシを出して下さった。
トウモロコシ美味かった。

S.O.さんと少し話する。郡山のお客さんが減ったこと。S.O.さんの野菜なら放射能気にしないで買うと言ってくれた人の事。
関さんの話にあったように福島の中にある対立や葛藤の渦…。
そして、その渦を取り巻く無知と無関心。或いは、そういうフリを装う人々。

危険なのに何故逃げないのか?という声。その通り。正しい。
でもね…正しさだけで生きて行ければ、どんなに良いだろう。
家族、仕事、コミュニティー、未来、残された人生…自分の生きて行く場所を何処に定めるのか?
秤に架けても簡単に答は得られない。それまで今を一生懸命に生きる。
そんな人達に出会うと心は波立ち、渦を巻く。金も力も無い俺はどうすれば良い?と、オロオロしてしまう。

2011/9/26 月
南相馬〜石巻報告B
船引のS.O.さんに野菜を頂き、再び国道を北上。浪江に近づくにつれ放射線量は上がり始める。
下津島から赤字木に入ると車内の空間線量は10マイクロシートベルト/時を超えて25マイクロに達する。
エアコンを使いたくないので密閉した車内で汗だくになる。飯舘村・長泥地区に入り漸く10マイクロを切る(但し役場の測定では15マイクロ)。
長泥を更に北上して役場(2.8マイクロ)を通り12号線に入る。畑は雑草に埋もれ、訪れる度に荒れていく。
切ない。
飯舘から南相馬の平地に下りるに従い、みるみる線量も下がっていく。(0.5マイクロ)

昼頃、ピーナッツに到着。
チャンプールで積み込んだ野菜とS.O.さんの野菜を降ろし、施設長の郡さんに話を聞く。
最近のピーナッツは利用者(障碍者)が更に増え対応に苦慮しているとの事。
同居していた就労支援施設ビーンズの方は鹿島地区に引っ越し先が決まり、スペースに余裕が出来るので職員も増やしていく予定。
但し、ピーナッツは頑張っているけれど原町区全体から見ると依然としてお寒い状況が続いている。以前にも報告したように社会的インフラが圧倒的に足りない。緊急時避難準備区域の指定解除の判断が妥当か否かは微妙だが、少なくともこれでは戻るに戻れない。
10月から学校も再開予定だそうだが、除染は始まったばかりで私立校は自前でやらなければならない。ましてや、住宅地の除染は多少の補助が出るにせよ『素人』住民が手弁当でやることが前提となっている。
郡さんも町内会の除染説明会に出たそうだがチンプンカンプンだったそうだ。
何ともお寒い状況なのだ。

委託事業としての仮設住宅支援は、よくよく話を聞くと民生委員的性格のもので、雇用対策的側面も強い。まぁ無いよりましだが、20ヶ所以上の仮設を1人で受け持つ事にどれほどの事が期待出来るのか?
最近、冗談混じりに「南相馬は福祉の街だねぇ」という会話が交わされるという。
年寄りや障碍者ばかりの街という事だそうだ。
いっそのこと、本当に福祉の街にして復興と雇用を創出した方が良いのではと思ってしまう。(実際、秋田の過疎地にそういう町がある)

この報告を記している今日は震災から200日。
季節はいつの間にか秋になろうとしている。

つづく

20111008 土
南相馬〜石巻報告C
以前にも書いた石巻の佐藤さんの水産加工場(佐勇水産)が10月から再開した!
1日の東京新聞の夕刊にも写真入りで紹介されていたけれど、心からおめでとうを言います。
炊き出しをしていた湊中学の近く、津波で家も工場も流された。
再開か、諦めるか3ヶ月悩んだそうだ。諦めれば借金だけが残り、再建するには新たな借金を重ねる事になる。
3人の子供のうち2人はまだ学齢期。
再開した加工場は他に1軒だけ。
果たしてやって行けるのか?
悩んで当然の事と思う。
9月に手伝いに行った時は下の娘さんは2学期から学校に行っていなかった。朝になるとお腹が痛くなってしまう。家では明るく一緒に手伝いもしていたけれど。
まだ15歳。
多分、家の厳しい状況解っているのだと思う。それを引きずったままの自分では、友達に会えないのかなと勝手に想像する。

福島、宮城で様々な出会いや再会があります。
そこで、厳しく多くの困難の中で、一生懸命前を向こうと努力する姿に胸打たれてしまいます。
遠くに在って、せめて気持ちだけでも近くに在りたいと思うのです。

だから、「こんなに汚染されているのに何故逃げないのか?」とかの意見を聞くと、「いやいや一寸待ってくれ」と言いたくなってしまう。



2011/10/10
杉浦さん、Oです。

私も9月26日、日帰りでしたが南相馬の「ほっと悠」という作業所に行ってきました。

今働いている精神障害者の作業所では、震災の後、利用者の人たちから「被災した精神障害者に義援金を送りたい」という意見が出て、バザーなどの収益金を2回ほど別々のところに送ってきました。

10月22日に作業所のバザーがあるので、今度の収益金はお互い顔の見える所にと、「ぴーなっつ」の郡さんに精神障害の人の多い「ほっと悠」を紹介してもらい、事前に利用者のSさんと2人で行ってきました。

原町区でレストランやカフェ、仕出し弁当など幅広く事業展開して、スタッフ30人、利用者も60人だったのが、津波と原発事故でちりぢりに避難して、現在は利用者30人、スタッフ数人でやっているとのことでした。
以前はそれぞれ別の場所でやっていた事業のうち、仕出し弁当と就労支援、廃品回収を、一つの建物でやっていて手狭なうえ、知的、身体、精神の三障害一緒なので対応が難しいと言っていました。

作業所の仲間に現地の声を届けたいと、利用者やスタッフの皆さんにメッセージを書いてもらいましたが、その中に「原発止めてほしい。3月11日前に戻してほしい」というのがあり、胸が詰まりました。
事故が収束したわけじゃないので、またいつ爆発するかわからない不安に怯えながら生活していると、今も緊迫感の中にいることも話されました。

一緒に行ったSさんは、スタッフがいっぱいいっぱいでやっているのが感じられ、自分が精神の病気になった時とダブって見えて、倒れてしまわないかと心配していました。
私はスタッフを物理的に支えるだけではなく、精神的な相談に乗れる人が必要ではないかと思いました。


以前は「ほっと悠」のスタッフで現在は東京に避難していて、月2回ほどボランティアで来ているという方が、津波の被害を受けた海の方を案内してくれました。

津波の跡は夏草が茫々と茂っていてまるで広大な原野のようでしたが、そこにはいくつもの集落があったということでした。あっという間に人の生活の気配が失われてしまったことに驚かされました。

南相馬に野菜を運ぶ時同乗させてもらい、現地に行って見聞きすることの大切さを、杉浦さんから学んだ気がします。
あれがあったから、今回「ほっと悠」とつながることができました。

「遠くに在って、せめて気持ちだけでも近くに在りたい」と書いていましたが、被災地で生きていかなければならない人と遠くにいる私たちとの気持ちの溝を埋めるためにも、直接話を聞くことの大切さを思います。

日々、仕事などであわただしくしている身には、被災地の大変さを知っても何もできなくて無力だなあと感じてしまいますが。


posted by 勇気野菜 at 03:39| Comment(0) | 報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする